政教分離って

木曜日は唐木田駅。どことなく落ち着いた朝だ。しかし、あの事が今朝は気にかかる。あの事とは伊勢神宮の遷御の儀のことだ。1300年の歴史を抱えるこの神社。戦後4回目のご神体(天照大神)を新しい神殿に移す20年に1度の神道最大の儀式だ。しかし、相変わらず一部の新聞社が、総理や閣僚がこの儀式に出席したことに対して「政教分離の原則に抵触の疑いがある」などとクダラナイいことを言っていることだ。腹が立つ。これらの記事を書くヤツらは、そもそも政教分離の原則が、完全に政治と宗教との関わりを分断するものではない事を知っているのだろうか。過去の判例でも、両者の完全分離が理想とはいえ、現実には政治も宗教も社会の様々な側面に接していること・文化財の保護や全国津々浦々に広がる例大祭の開催など、両者の意味を遥かに超越したつながりは事実上根深いものであるとしているのだ。とりわけ今回の伊勢神宮の儀は他の宗教を弾圧するものでもなく、あくまで国家国民の幸せや社会の安寧を願うものであり、もっと清らかな心で受け入れるべきではないだろうか。あまりに浅い知識の表層的な記事に激怒しながら立った朝だ。でも、気を取り直しながら笑顔ですごした2379回目。

“政教分離って” への1件のコメント

  1. 近藤 昇 より:

    政教分離は馬鹿

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