靖国の意味

週末金曜日は今年最後の永山駅。なのでいつもよりちょっとだけ早めに駅頭へ。運よく6時半の声を聴くころにはほとんど雨が上がってくれた。スタートして間もなくあったかい缶コーヒーの差し入れ。缶コーヒーを頂いた時にはすぐに飲まずに、しばらく握って手のひらを温める貯めに使う。その後、のどを潤すわけだ。生ぬるいコーヒーだが、真冬の寒さの中では十分にあたたかい。それに支持者の方の愛情も加わっていてさらに美味しく感じるのだ。ところで、靖国神社の参拝のニュースが一面を飾っている。中国・韓国の反発は織り込み済み。アメリカの反応もある程度予想されていたことだ。それより酷いのは、マスコミだ。新聞各社、テレビ局、ラジオ局などのほぼ全報道機関は、総理の行動を完全否定している。少しは擁護するような報道機関は私が見る限りどこもない。加えて、戦争を知らない若い世代の中途半端なコメンテーターらしきタレント達が、こぞって自虐史観を当たり前のように口にしている。まるで、国家は悪で保守政治が危険だと言わんばかりにだ。そう言ってさえいればテレビ受けして文化人気取りでいられるのだろうが、あまりに無責任で大衆迎合的なコメントに異常な違和感を感じるのは私だけだろうか。理由はともあれ日本人の多くの若者も戦争で命を落としてきた。長崎・広島には原子爆弾が落とされた。この多くの犠牲者は皆犬死だったとでも言うのだろうか。残された遺族の深い悲しみを無駄だったとでもいうのだろうか。靖国神社は第2次世界対戦の犠牲者だけが祭られているわけではない。靖国の意味をもっと知るべきだろう。こんな話を今朝していたら、道行く方々は結構拍手をしたり、大きくうなづいてくださる方がいた。そんな今朝は2426回目。

“靖国の意味” への1件のコメント

  1. 近藤 昇 より:

    靖国参拝は反対、就遊館は軍国主義そのものです。

    靖国神社には戦前の戦死者のみ、防衛庁の事故死

    者は防衛庁内に祀ってます。

    本来招魂社で全国にあります。

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